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ドキュメンタリードラマ研究会とは

ドキュメンタリードラマ研究会は、2014年10月6日に日本映像学会に承認された研究会です。

 

 

■活動の目的

 

 ドキュメンタリードラマという概念は、テレビのみならず、国内外の映画やドキュメンタリー、民族誌映画でも模索し表現されてきたものである。本研究会では「事実と虚構が絶妙に入り交じり、新たなリアリティ(真実、迫真性)を生み出す映像表現」として扱い、主に日本のテレビ史における古典的な作品を再検討することによって、ドキュメンタリードラマの歴史的変遷と表現の可能性について展望することを目指す。

ドキュメンタリーをめぐる今日の理論や関心によってこそ再評価すべき作品として、たとえば1975年に放送された『太平洋戦争秘話・欧州から愛をこめて』(今野勉演出)は、歴史上の出来事として展開するドラマの中に、現代のリポーター(伊丹十三)を登場させ、実際に事件が起こった場所で、証言者と事件について語る仕掛けを凝らしており、テレビというメディアの特質ならではの表現として高い評価を受けた。また、『マザー』(1969)や『夢の島少女』(1974)などの一連の佐々木昭一郎作品は、架空の人物を導入し、実生活者と関わる様子を虚実入り混じる手法を通して描き、独自の世界観を構築した。佐々木の作品は、後の映画監督や映像作家に多大な影響を与え続けている。

 同様の試みを、映画では『人間蒸発』(今村昌平、1967)や『クローズアップ』(キアロスタミ、1990)といった作品に見ることができる。そもそも、ドキュメンタリーの祖として位置づけられる『極北の怪異ナヌーク』(1922)もまた、複数の家族から出演者を選び、一家族を演じさせている事から、「ドキュメンタリードラマ」とみなすことができるものである。また、アマチュア作家の手による8ミリ映画やビデオ作品の中にも、現実の場所で、そこに生活する人々に日常を演じさせたドラマ作品が数多く作られている。ドキュメンタリードラマの過去の作品を再検討することで、映像作家がいかに「現実」と向き合い、カメラを向け、その様子を映像にとらえてきたのか。その試行錯誤の試みを概観することにより、ドキュメンタリードラマの可能性とその歴史的展開を探っていくことにしたい。

 

 この領域を総括する研究は、少なくとも日本においてはいまだ充分になされているとは言い難い状況にあり続けており、最大の問題点として、とりわけテレビ作品については過去の主要作品すら視聴する機会が極めて限定的であるか、もしくは失われている事実がある。専門学会の研究会活動を通して、個人での視聴が困難である作品の上映鑑賞研究会を開催し、映像作家・研究者をはじめとするネットワーク交流の場を構築することを目指す。

 そこで本研究会では次の3つを柱にして活動する(詳細は次項にて)。

 

 ①ドキュメンタリードラマを「見る」「語る」「学ぶ」機会をつくる

 ②制作者を交え、議論を深め、作品研究を行う。

 ③次世代の若手映像作家の作品を上映する機会をつくる。

 

 

■今後の研究及び活動の予定

 

上記の活動を推進するため、年2回の研究会を開催し、議論と研究を深めていきたい。

 

①ドキュメンタリードラマを「見る」「語る」「学ぶ」機会をつくる

まずは研究会メンバーを中心に「ドキュメンタリードラマ」の作品のタイトル(製作者情報含む)と内容をできるだけ網羅し一覧化する。そして入手可能で、研究会テーマにふさわしい作品を選択し随時、上映研究会を開催し、テレビ史や映画史、ドキュメンタリー史の研究者などを交え議論を交わす。

 

②制作者を交え、議論を深め、作品研究を行う。

テレビや映画、ドキュメンタリーなどジャンルを超えて制作者を招聘し、講演と研究会を行う。

 

③次世代の若手映像作家の作品を上映する機会をつくる。

ドキュメンタリードラマの広がりはカメラの小型化やマイクの高性能化が促したともいえる。誰でも映像表現ができる現代こそ、高校生や大学生も含め、若手映像作家にドキュメンタリードラマの歴史、手法、理論を学んでもらい、伝統の継承と発展をそれぞれの制作に活かすための場を構築したい。実際に若手映像作家の作品にはドキュメンタリードラマの手法が多く用いられている。彼らの作品を上映し、討論する場を設けることで、映像作家・研究者とを繋ぐネットワーク交流の場を構築していきたい。

 

代表 杉田このみ(専修大学 ネットワーク情報学部 講師)

 

 

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